読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未知のオブスキュラ

三十路男の写真日記です。街の風景を撮るのが好きです。

吾妻橋で、旧浅草区と旧本所区の境界標を発見!

浅草 土木・建築・建造物

先日、吾妻橋を渡っていたら、真ん中あたりで旧浅草区と本所区の境界標を発見しました!このあたりです。

IMG_2008

境界標が埋まっているのは、車道側なので撮影の際にはご注意を!

車が通っているところに体を出すと危ないです。休日は人通りも多いので、周囲をよく見て安全なタイミングで撮影しましょう。

気をつけて歩いていれば丸い境界標にすぐ気づくと思いますが、往来の人や自転車にぶつかっては危ないです。

IMG_2006

ペンキでマークされていますが、手すりを設置した際のマーキングなのか、測量の際のマーキングなのかは残念ながらわかりません。ただ、敷石部分を境界線と合わせて設置しているように見えます。

浅草区は現在の台東区、本所区は現在の墨田区ですから、今でも台東区と墨田区の区界としてこの境界標を使っているのかもしれません。しかし、昭和27年(1947年)に浅草区は下谷区と合併して台東区に、本所区は向島区と合併して墨田区になっています。ということは、この境界標は少なくとも約60年前に設置されたことになります。

IMG_2007

写真の左側(西側)が浅草区、右側(東側)が本所区になります。

浅草区・本所区ともに、区が設置されたのは明治11年(1878年)ですが、吾妻橋は関東大震災で焼け落ちてしまい、昭和6年(1931年)に現在の吾妻橋が完成しました。ですから、昭和6年(1931年)から昭和27年(1947年)の16年の間のどこかでこの境界標は設置されたのではないでしょうか。

このあたりの交通の変遷は、押上一丁目仲町会のHPが詳しいです。

歴史探訪/02押上界隈の歴史あれこれ|oshinaka

 

それにしても、都区内で60年も同じ境界標が設置されていたのには驚きです。

個人宅だとそれほど珍しいことではないかもしれないのですが、このあたりは空襲も激しく、戦前に設置された境界標はほとんどどこかに行ってしまっていると思われます。もし戦前に設置されていたとしたら、空襲も高度経済成長期の工事も乗り越えて現在に残っているわけで、驚きです。

吾妻橋のような橋梁は、定期的にメンテナンスを行うため、工事の際に境界標を取り外して、工事が終わったら再設置という形になるのだと思うのですが、あまりに古い境界標の場合は傷みなどを考慮して新しいものに取り替えることが多いです。

こちらのHPの情報によると、吾妻橋だけでなく、言問橋にも同様の境界標があるようです! 

約60年も同じ境界標を使いまわしてきたのには、何か理由があるのでしょうか…?

 

 <関連記事>